あの救急車に乗りたい~うぅ 2
<昨日からの続き>
で、気になるその原因。何をやらかしたか?
思い当たることがありました。 それは
お塔婆の書き間違え
その日のスタートのお経。信者のKさんの法要で依頼されていたお塔婆をよく確認せずに違う趣旨の塔婆用意していたのでした。
「あああ、やっちゃった。ごめんなさい」とひたすら心の中で懺悔懺悔。となった次第です。
実は”前科”がありまして、たぶん、24、5歳のころだったでしょうか。「あの時と一緒だ」とすぐに思い至ったのでした。
そのときの”科”はある信者のおばあちゃんに依頼されていた仏壇の発遣(俗に言う魂抜き)をしないで、「そのうちにやろう」としばらく本堂に置いたままにしていたのでした。
あの時はすごくお腹が張って、尋常ではない回数と量のオナラが出続けたのでした。笑いを越えて怖く成るほど。
しかし、お腹はぜんぜん痛くありません。「変だなあ、なんだろう。何食べたっけ?」
困っているとタイミングよく霊感のある方から「何かお約束忘れていませんか」電話。すぐにピンときました。
「仏壇だ!」
速攻で本堂へ行き、お詫びと発遣のお経をあげ、しばらくすると変な症状は治まり一件落着となったのでした。
オナラの一件を思い出しながら、左側腹部に違和感はあるものの、生活に支障はない程度になったので、依頼されていた内容を確認してお塔婆を書き上げ本堂へ。 お詫びと正しいお塔婆の供養のお経をあげました。
その夜、Kさんにお塔婆のお詫びと事の顛末をお伝えしますと、
Kさん「○○は厳しいですから」
私「いえいえ、悪いのは私なのですから仕方ありません。それに痛みは弱い箇所にでるので、何かあるかもしれないお知らせと受け止めます」
Kさん「お大事になさってください」
仏さまとのお約束も違えると、
「違うでしょ」
「思い出した?」
「まだわからないの」
「なんでわからないの」
「ならば、わかるまでやるよ」
とエスカレートするようです。人と同じです。
もちろん、悪いのは約束を違えた方です。
忘れていた、間違えた、うっかりミスは誰でもやってしまうことですが、相手の立場になれば悪意はなくとも非難したくなります。
それが、悪意があってやられたことなら、怒りとなります。
バチがあたる ごもっともなことです。
何事にも原因あって結果があります。
その結果が次の原因となります。
因果、ご縁、因縁。
すべてこの理を説いている仏教の教えです。
とても当たり前のことですが、ただその関係を理解しない、できないので、迷路に迷い込んでしまうのでしょう。
そうならないように日頃から、仏さまに導いてもらえるような振る舞いを心がけることが肝心ですね。反省します。