「情けは人の為ならず」 期待してます
喜ばれることをした日には何となくいい気分になりますよね。
バイクで走っていると先行する車の給油口(のカバー?)が開いているのが
目にとまりました。
みなさんも見かけたことがあるかもしれませんが、
たま~にいるんですよね。そういう車。
キャップまで閉まってない、なんてことはまずないし、
歩行者などをひっかけてケガをさせてしまうこともないでしょう。
つまり、実害はあまりないのでしょうが、
そのまま走行されても、いやなものです。
ガソリンスタンドで給油後しっかり閉まってなかったとか、
カバーを開く装置を知らずに作動させてしまったとかで
そのような状態になったということです。
正直に言えば、私もやったことがありました。
信号で停車した時、運転手さんに少し開いた窓から声をかけますと、
怪訝な顔をされます。
心の声「あおり運転とおもわれたらやだな」
ゆっくり大きな声で「給油口開いているから閉めますよ」
目を大きく開き、頷く運転手さん。
当方はバイクなので手を伸ばして ”バタン” 完了です。
ただこれだけのことですが、なんとなくイイ気分になった一コマです。
狭路でのすれ違い、車列の合流、交差点の譲り合いなど
運転していると必ず遭遇する場面があります。
止まる、譲る、徐行するその場その場の判断の連続ですが、
手を挙げて合図、会釈、頭をさげるなど相手のほんの小さな所作が
心を温かにしてくれます。
しかし、それに反した場面で、ちょっとガッカリしてしまう
小さい自分にモヤモヤしたり。
ささいな事で心が揺れてしまうものだなあと、つくづく思います。
「心コロコロ」とはよく言ったものです。
人の心は10段階のレベルがあります。
仏教用語で十界互具(じっかいごぐ)といいます。
悟りと迷いの視点から10種の心のあり様を分けたものです。
1仏界
2菩薩 (ぼさつ) 界
3縁覚 (えんがく) 界
4声聞 (しょうもん) 界
5天上界
6人間界
7修羅界
8畜生界
9餓鬼界
10地獄界
悟りの世界 1~4
迷いの界 5~10 別名を六道(ろくどう)といいます。
六地蔵はそれぞれの世界に落ちた魂を救う担当といわれます。
私たちの心の状態は必ずこの1~10のどこかになります。
常に揺れて振れ幅の大きい人、あまりぶれずにいる人。
しかし、気持ちが1~10のどこかに飛んでしまう可能性は常にあります。
地獄も浄土もその場所があるのではなく、心が決める
という日蓮さまの言葉があります。
例えば
リビングで楽しくパーティをして過ごした翌日に
同じリビングで殴り合いの兄弟喧嘩をしたあげく
親に叱られる子供
リビングは浄土でしょうか? 地獄でしょうか?
リビングはリビングであって、浄土でも地獄でもありません。
そこにいる人の心が浄土か地獄かを決めるのです。
仏教の目的は 成仏 つまり 心が魂が 1仏界 の状態を目指すのです。
どの宗派でも目的は一緒です。ただその方法論、好みの差が宗派といえます。
心のホームポジションが仏さまになるよう心掛ける毎日が仏道修行
給油口の話から長文になってしまいました。
お付き合いありがとうございました。